透明な水のフリーク

小生は、子供のころから透明な水に特別の気持ちを抱いてました。この憧れは程度の差こそあれ、誰にも共通してるとおもいます。小学生の遠足でバスの車窓から渓谷の透明な水が見えると、水が視界から消えるまで、名残を惜しむように窓ガラスに顔を押しつけ、見続けてました。「南太平洋」というタイトルの映画で見た透明の海の綺麗さに、思わず、涙を流してました。昭和36年頃は、世界一の透明度の湖は摩周湖、2位はバイカル湖、そして3位が本栖湖でした。そこで、中2年のとき本栖湖にキャンプにゆきました、岸辺を離れ、沖へ泳ぐといつまでも水底がはっきりと見えます。50M以上の水深でも底がはっきりと見え、そのうちに、高所恐怖ににた恐怖に襲われました。それほど、きれいでした。その20年後、昭和57年に、ふたたび子供をつれ本栖湖に行った時は、ショックでした。透明度2M程度!かなしくなりました。

今年の遅れた夏休みで、小笠原に行きました。ここの海は、期待にたがわず素晴らし透明度でした。この透明な水をいつまでも残したい。本栖湖のようにしてはいけないと強く思いました。透明な水を守るNPO法人のような動きを始めたい。そんな思いにさせる場所でした。

2週間ほどの観光滞在でしたので詳しく調べられませんでしたが、この島は海洋性火山島で、豊富な鉱物資源にも恵まれているようです。容易に観光客の近つける島の西側だけでしたが、かなり良質の湧水の出ている場所もありました。天水利用という割には水道水が良好なのは土中に鉱物が豊富なためでしょうか。地下水利用はあまり進んでないようですが人口、観光客の増加に伴い水源を地下に求める開発が進んでも良好な水資源が期待できそうです。

下の写真は、兄島の水中公園で撮影したものです。台風の雨上がり後2日目のためか地元の人は白濁しているとおっしゃてましたが、それでもこれほどの透明度です。それと小生のカメラを持つ手に、小さな魚がじゃれ付いてくるのには驚きました。手を動かしても遊んでほしいとでもいうようにまつわり付いてくるのです。これは、初体験でした。この魚のDNAに人への恐怖が織り込まれていないのでしょう。まさに桃源郷です。

 

終戦記念日に偲ぶ、美しく、すがすがしく、気高い日本のこころ。

今年は太平洋戦争(大東亜戦争)の勃発より、70年目の節目の年です。この戦争の総括の仕方は、各人の持つ思想信条により、大きく異なるものになります。

先日、この時代に青春を、精一杯に生抜いた、ある学生のドキュメンタリーを読み感激しました。この学生は米国籍の日系二世でしたが、日本の大学から学徒出陣し、海軍少尉として特攻で散りました。

このドキュメンタリーに、セピア色の写真のように現れる,主人公と彼にかかわる人々の織りなす心の風景には、胸を打たれました。「日本は戦争に負ける。でも、俺は日本の後輩たちのために死ぬんだ」といって、散ってゆきます。こうした認識と気概は当時日本のエリートである、学徒たちに共通するもののようです。負けると知り、なぜ死を選ぶか、生きて新しい時代の建設へと向かわぬのか?

ここにあるのは、「物質的な敗戦では、国は亡びない。精神的な敗戦によってこそ国は亡ぶ」という考え方です。当時の「玉砕」という言葉にこめられる思想的な心情は「屑の石のような心を持って生き残るより、透明な美しい玉のような心を持ちつつ、砕ける」というものだったのでしょう。そして、彼らのこの行為によって、守ろうとしたもの伝えようとしたもの、それは、自分たちのこの気概なのだ」というメッセージが伝えられてる気がするのです。ここにあるのは、中国戦国時代の小国である中山国の楽毅。フランスのジャンヌダルクなど古今東西のあらゆる文明圏で称賛される普遍的な美しい、崇高な心です。

これは、日本の美しい自然、世界に誇る建築物と同様に、後世に伝え残すべものです。戦後のGHQの政策は、この日本の心、伝統的な国民性を最も恐れ、根絶やしにするたの、社会政策、教育制度の構築に腐心しました。しかし、今春の、東日本大震災のようなときに、心の奥底から、あらわれるのです。そして、戦後教育のみを受けた小生がこのドキュメンタリーに感動する感性を持ってることも、心の芯にDNAのように、この「日本の精神」がしっかりと残ってる証拠です。

ドキュメンタリーの中に描かれる、彼の戦友は、上空で別れの旋回をする特攻機を見送り「勇ましいというか、威風堂々というか、あまりの威容に、私はポカンと見てました。感動ですね。‘あっぱれ‘という言葉がありますが、あれは、‘あはれ‘から来たものです。‘天晴れ‘と書きますが、元来‘あはれ‘なんです。だから、本来は、悲しみなんですよ。それが ‘あっぱれ‘になるんです。あの姿は本当に、その‘あっぱれ‘という感じでした。悲しみもありましたが、爽快感もありました。その姿を見てたら、気がつくと私は涙を流していたんです。」と語る。

特攻に出撃した他の学徒の辞世の句。「何ごとも 悲しむなかれ 国のため いまぞいでゆく心ぞうれし 海ゆかば 水つくかばね 晒すとも 七度 生まれて 国を守らむ ますらをの 道に迷いはなかりけり 死して生ある 命なりせば」

最近の展示会、セミナーについて。

ザ・バイオウォーターの展示会、あるいはセミナーは年に3~4回のぺースで定期的に
開催しております。主に東京、川崎、横浜です。今後は全国津々浦々に回らせて
いただくつもりでおります。展示会、セミナーの模様をこのページを利用
し紹介させていただきます。

展示会では、「論より証拠、水くらべ」、「水道水が岩清水に!」、「水道水vs
ザ・バイオウォーター」等々のタイトルのもとで、必ず実演・デモを行っています。
それは、水の改質装置である以上は、まず、実際に体験していただくことがベース
になるからです。そして、「データーをして語らしむ」。これが、基本
のスタイルです。次の写真は、平成22年度の「中小企業総合展」のスナップです。

次の写真はセミナーの模様、これは、神奈川県サイエンスパーク(KSP)で平成23年7月6日におこなわれたもので、テーマは
「ザ・バイオウォーターの水改質による、省エネ・省資源」です。

このセミナーの動画もごらんください。

水改質技術の簡単な見分け方

       3年8か月後も変質しない、ザ・バイオウォーター処理水 

左はBW装置直前のバルブより採水のBW未処理水、右は装置直後採水のBW処理水。

沖永良部島フローラルホテル(知名町町営、元国民宿舎)にスケール防止対策として九電工が「ザ・バイオウォーターΩ」を平成19年に取り付け。その際、九電工が装置前後で採水。 弊社に送られてたときは、右の写真のように、処理水、未処理水ともに透明な状態でした。その後の1年半経過してから上の写真のように、未処理の水は濁り始め差が顕著に出めました。ほぼ4年が経過した現在でもザ・バイオウォーター処理水は変質することなく、採水直後の透明な状態のままで保存(常温)されています。弊社においでになればいつでもご覧いただけます。 

昨今、市場には多種多様な水改質の装置が出回りみな同じような効果を謳っている。一般の消費者の方々には、「一体、どこがどう違うのか良くわからない」というのが実情だと思います。

同じような効果が謳われていても、そこで起きている事態は全く異なっています。何を見ればその違いが明確に判るのか?簡単に判別できる方法があります。

結論を先に言います。装置で処理された水の効果持続時間を確認すると違いが分かります。

具体例を申し上げます。(1)滝の水は滝壺の中にあるときは洗濯ものがきれいになったり、ご飯がおいしく炊けたりするが、下流になると全く効果がなくなる。(2)雪解け水は種子の発芽が良いが数日たつとその効果がなくなる(3)磁石の装置で処理された水は87時間で効果がなくなるetc.

17年ほど前になりますが、ある化粧品の会社の研究員が話していました「滝ツボの原理を利用したプラントを億単位の投資で作り、化粧水を売り出したがユーザーに届くころには当初の効果は消えてしまい大失敗でした」

上記のように処理された水が元に戻ることを「水の記憶」と呼んだり、水には「恒常性」があると表現されたりします。「恒常性」(ホメオスタシス)は生命現象に見られる特徴で、J.ラブロックの有名な「ガイヤ仮説」(地球は生命体である)の論拠は、この「ホメオスタシス」にあります。水にこのホメオスタシスの現象が確認できることは、「地球型の生命の発生と水の発生は同時である」という説と考え合わせ、非常に興味深いところです。

いずれにせよ、水の本来有するホメオスタシスの力で、効果がなくなるのなら、その処理法とは、水が本来有する力を高めているのでなく、水に内在する力に対し「外の力」を加えている。ということになります。ですから効果持続時間が短い水改質の方法は、水にとって異質な「外からの力」によるものなのです。

弊社のザ・バイオウォーターで処理された水は冒頭にあるように4年たっても効果の持続が確認できます。ここで働く作用の意味を考察すれば、水の本来有している内在的な力・「ホメオスタシス」の力を高めている、つまり、水の持つ生命力を高めているといえると思います。

つまり、水の本来有する内在的な力を高めているのか、あるいは外的な力を加えて水分子に何らかの影響を与えているのか、この違いは、改質された水の持続力を観察すると明確にわかるのです。

伊勢の「神宮会館」で見つけた面白いもの。

先日、伊勢神宮の施設「神宮会館」に宿泊した折に、とても面白いものを見つけました。上の写真です。いわゆる「蘇民将来」のお札が正面玄関ドア―の真上にかざられていました。

これは「将来に蘇る子孫の家」と書かれたお札で、起源が古代ユダヤ教の「過ぎ越しの祭り」といわれてます。

この祭りの起源は、イスラエルの民である目印として家の出入口に羊の血を塗りエジプトを襲う死の疫病の災いをやり過ごした事から来ています。

古くから日本の神道と古代ユダヤ教の同起源説があります。イスラエルのモサド機関も「失われたユダヤ10支族」と日本人の関連調査を行っているようです。下の写真は神宮会館から内宮へと通ずる参道にある灯籠です。なぜか、台座にはダビデの星五芒星が、そしてその上の灯籠の屋根部分には16花弁の菊の御紋がみえます。